2020年9月22日(秋分の日)、お灸フェス2020がオンラインで開催されました。 その中で、一龍斎春水(イチリュウサイ・ハルミ)さんによる講談「杉山和一苦心の管鍼」がありました。
脚色されている部分があるかもしれませんが、とても感動したので記憶が新しいうちに粗筋を書いておきます。
杉山和一は幼い頃、天然痘で失明 三重県で育ちますが、世の中の役に立ちたいと、名主に懇願し、江戸に出してもらいます。そして、鍼医・山瀬琢一に弟子入りします。
和一はあん摩はとても上手なのですが、天然痘の後遺症もあってか、鍼をしようとすると緊張して手が震えてしまい、うまく刺せません。師匠から故郷へ帰るように申し渡されます。
師匠の娘お浪が、「帰郷する前に、江の島の弁天さまの岩屋に21日間お籠りして願えば何かご利益があるかもしれない」と言ってくれたそうです。しかし、満願の日も何も起こらないので自殺しようと歩き始めたところ、大きな石につまづき倒れてしまいます。
何か右手の親指に刺さる物があり触ってみると、枯れ葉がクルクル丸まって、その中に松葉が1本突き刺さっています。「竹の筒に鍼を入れれば、うまく痛くなく刺せるかもしれない。これは弁天さまのご利益に違いない!」
その後、江戸に戻り、師匠のところで働いていたころ可愛がってもらっていた患者の源兵衛さんの家に居候しながら管鍼法の研究を続けます。
最初は気を失っている猫を治し、井戸端会議の中心人物だった糊屋の婆さんを治療し、次第に評判を高めます。師匠琢一が遠方から戻れないということで、和一に依頼があったのは師匠の大切な患者さん紀伊国屋文左衛門!治療を終えたところに師匠が駆けつけてきて、和一と再開します。
巷で評判の鍼医ということで、4代将軍家綱公の治療にあたり見事平癒。「何でも望みのものを褒美に与える」と言われ、和一は「目を一つ欲しい」と願い出ます。しかしさすがにそれは無理なので、家綱公は本所・一ツ目に3000坪という広さの屋敷を与えます。
一般には世界発の盲学校はフランスだと言われていますが、この地が世界初の盲学校、杉山和一検校が盲人に鍼を教え始めた場所、現在は本所一ツ目弁才天「江島杉山神社になっています。
和一はその後もご利益を頂いた弁財天を崇拝し、毎月江ノ島弁財天を参拝していたと言われています。盲人が道に迷わないように、藤探から江ノ島への48本の道標を建て、今も残っているものがあるそうです。全て高さ120 cm程度、幅・奥行き20cm程度と共通の規格を持った安山岩製の尖塔角柱型道標で、触って判るように正面に弁才天の種子である「??(ソ)」と「恵乃之満遍(草書体)」、右面に「一切衆生」左面に「二世安樂」と彫られているそうです。
日本の鍼は他国と比べ、痛みが少なく、繊細な手技が可能です。この日本鍼を、さらに操作しやすいよう研究し、視覚障害当事者に教育・普及してくださった杉山和一検校先生に、今回の講談を聴いて感謝するに至りました。